わかり み が 深い と は。 「すきぴ」「おけまる水産」「わかりみが深い」…10代女子が選ぶ「流行語」がなにやらすごい

ことわざ「深い川は静かに流れる」の意味と使い方:例文付き

わかり み が 深い と は

いっちーさん ichiipsy がツイートした、「あまり怒らない人の特徴」が話題になっていました。 「怒らない人」は、いっちーさん曰く「決して怒っていないわけではない」んだそうです。 だとすると、心の裏側で何が起きているんでしょうか……? 「怒っているところが想像できない」なんて人、あなたの周りにもいませんか? ichiipsyより引用 他人に対して怒りを表明していないだけで、実は怒っている。 その上で、興味を無くして関わらないようにしているだけだというのです。 この説、とても深く頷ける人も多いのではないでしょうか……。 「怒られるうちが華」なんて言葉もありますが、強く言われないからといって、好き勝手やってしまって、本当に大丈夫なのか。 普段の人との接し方を少し考え直したくなります。 この投稿を見た読者の皆さんからは、「わかりみが深い……相手に怒るのは疲れるし面倒だから、無関心になる方が手っ取り早くて楽なんだよなぁ」「その瞬間、クスッと笑っちゃいます。 あ、無理だな……と」「どうせ怒ったところで聞いてやしないんだから、感情的になるだけ無駄ってもんですよ」と強く共感した声が多く寄せられていました。 あんまり怒らない人っていうのはね、怒らないんじゃなくって一定のラインを超えた瞬間にその人への興味をなくすだけで、決して怒っていないわけではないのよ。 予めご了承ください。 関連記事•

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わかりみが深いの意味とは? 元ネタと使い方|言葉帳

わかり み が 深い と は

goo辞書(デジタル大辞泉(小学館))を参照してみました。 形容詞・形容動詞の語幹に付いて名詞をつくる接尾辞「み」というのがありまして、「高み」「深み」「ありがたみ」などの例があります。 文法トリビアとしておもしろいのは、この「み」はプラスの語(というと語弊ありますが)に付くことが多く、マイナスの語につくことはあまりない、という特徴があります。 「低み」「浅み」とか原則言わない。 で、形容詞・形容動詞につくのが用法ですから、動詞「わかる」に付かないはずだったんですが、ネットミームっていうんですか、付けちゃった人がいたんですね。 で、それがけっこう面白くて流行った。 「それわかる!」というのを「わかりみが深い」と表現したんですな。 Googleで調べていたら論文らしきものも出て来ました。 中身まで詳しく読んでませんが……(すみません)。 これが「正しい日本語」にまで昇格するのに、何年かかるんでしょうかねぇ。

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わかりみが深いの意味とは? 元ネタと使い方|言葉帳

わかり み が 深い と は

「わかりみが深い」の意味 まずわかりみについては、 「甘み」 「渋み」 「有難み」など、形容詞や副詞に 「み」をつけ、 「その度合い」を表す名詞とする用法を拝借したものです。 正しくは 「理解度」 「共感度」と置き換えられる言葉で、 「深く共感します」と相手に伝える場合に用います。 また 「わかる」と断定せずに 「何か、わかる気がする」と緩和された表現である事も重要です。 深く共感してはいるけれど、正直相手の心理を全て理解できている自信はない状態、と分析する事ができ、曖昧さを良しとする傾向が強い日本の、さらにやや思慮や経験の深さに欠ける若者ならではの表現でしょう。 さらに、SNSが発展した現代では 「共感」の意思表示が非常に容易になった反面、自分の出した意見に発生する 「責任」も、顔の見えない老若男女全てに筒抜けになって見えてしまう弊害もあります。 そうした責任をできるだけ回避し、相手と繋がっていくための一種の処世術的な側面をも含んでいると言えます。 なぜ「わかりみ」に違和感があるのか 私たちは年齢を重ねるに従って、新しく出てくる言葉に嫌悪を抱きがちです。 それが単に聞き慣れない言葉であっても、日本語として破綻・ルール違反しているものであっても同様です。 「〜み」とは 「〜さ」と置き換えられる事もあります。 しかし例えば 「つらさ」なら誰でも用いる所を 「つらみ」としてしまうと急に違和感を覚えるのはなぜでしょう。 ここでは簡単な考察に留めますが、 「〜さ」の方が一般的で制限が少なく、ものの程度の他に 「感情」を表す言葉を修飾する特性がある事から、個人の気持ちを表す 「つらい」は、 「〜さ」が付く方が自然という事が言えます。 「有難い」は一見個人の感情のようにも思えますが、有益かどうかの度合いを表す言葉なので、 「〜み」をつけることができます。 「わかりみ」に至ってはどちらも馴染まず、無理に名詞化してしまっているのが明らかです。 これは元になる言葉が動詞かどうかという点が大きな相違点で、 「〜み」 「〜さ」が通用するのは、元々 「〜い」で終わる形容詞、副詞に限られるのがわかります。 「わかる」は動詞なので、名詞化するなら 「わかること」にしかできず、元々名詞である 「理解」を含んだ 「理解する」で、 「理解すること」や 「理解度」と置き換えたほうが自然です。 恐らく若者たちは、用法の誤りを深く考えずに使っているか、もしくは生じる違和感そのものに含まれる語感の可笑しさや、言葉遊びの楽しさに重点を置いて、承知の上であえて用いているのでしょう。 そう考えれば、気のおけない友人同士やインターネットの掲示板などの限定された場で、こうした新しい表現が生まれてくるのは何も不思議のない事であり、使う状況さえ間違えなければ容認する度量の広さも、ある程度は求められるのではないでしょうか。

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