デヴィッド ボウイ ヒーローズ。 / ヒーローズ 英雄夢語り

1987年ベルリン、デヴィッド・ボウイが送り続けた自由へのメッセージ

デヴィッド ボウイ ヒーローズ

タイカ・ワイティティ監督がヒトラーに!映画『ジョジョ・ラビット』日本版予告編 シリアスな題材だが、ウサギを殺せなかった臆病なジョジョがチョビ髭の独裁者と一緒に走り回るなど、思いきった設定で意外にコミカルな映画に仕上がっている。 年上のエルサがジョジョを翻弄し、彼が年下なりに気を回すという2人の姉弟的なやりとりも楽しい。 反政府活動やユダヤ人への弾圧が強まり、ジョジョにも危険や悲劇が訪れるが、やがてドイツは敗戦を迎える。 そして物語の幕が閉じる瞬間、「ヒーローズ」が流れ出す。 『ジョジョ・ラビット』では、映画音楽界の売れっ子マイケル・ジアッキーノがスコアを書いたほか、クラシック、ジャズ、ロック、ポップ、ラテンなどから様々な既成曲が使われている。 オープニングで流れるのは、The Beatles「抱きしめたい(I Want To Hold Your Hand)」のドイツ語版「Komm Gib Mir Deine Hand」だ。 まず冒頭で、アイドルとして熱狂的歓声を浴びたThe Beatlesと、カリスマ性のある指導者として演説で大衆を酔わせ絶大な支持を得たヒトラーが、重ね合わされる。 その熱狂や支持は、独裁者を心の友にしたジョジョのものでもある。 The Beatles「Komm Gib Mir Deine Hand」 しかし、エルサとの交流で次第に考え方や気持ちが揺さぶられ、ナチスが敗れその価値観が否定されたことでジョジョは変化する。 エンディングで新時代の到来を告げるように「ヒーローズ」は鳴り響く。 第二次大戦後、世界はソ連を中心とする社会主義圏とアメリカを中心とする自由主義圏が対立する東西冷戦時代を迎える。 象徴的なのが国家を東西に分断されたドイツであり、以前の首都ベルリンも市内に壁が築かれ東西の行き来が禁じられた。 ボウイが、そのベルリンの壁に近いスタジオでアルバム『ヒーローズ』を録音したことは、ロック界では有名な話である。 ボウイは、同作プロデューサーのトニー・ヴィスコンティが壁のそばで恋人を抱きしめる光景を見て、タイトル曲の歌詞を着想したという。 2016年1月にボウイが死去した際、ドイツ外務省は「ベルリンの壁崩壊への助力をありがとう」とツイートした。 1987年にボウイは西ベルリンの壁近くでコンサートを催し、「ヒーローズ」を歌って壁の向こう側に呼びかけたのだった。 もともとこの曲は、分断を象徴する壁に対して愛を歌った内容である。 今ではポジティブなイメージが強くなった曲だ。 メインフレーズの「私たちは英雄になるだろう」には「1日だけ」と続く。 皮肉も感じられる曲なのだ。 David Bowie — Heroes Official Video 「ヒーローズ」の歌の中で恋人たちは、頭上を銃弾が飛び交う壁の脇でキスをする。 歌詞に「壁」という言葉が登場するし、それが字幕で表示されていれば、映画の観客はドイツの戦後史を容易に思い出せただろう。 『ジョジョ・ラビット』では、ヒトラーを信奉する少年とユダヤ人少女の間にあった心理的な壁が溶けていく。 ドイツの敗戦は、両者を対立させていた国家の論理の崩壊であり、自由への希望である。 だが、以後の現実では東西冷戦の新たな対立が生まれ、物理的な壁が築かれた。 そのベルリンの壁も、冷戦終結に伴い1989年に崩壊した。 こうした歴史を勘案すると、映画の締め括りに流れる「ヒーローズ」は、ポジティブなニュアンスばかりとはいえない。

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英雄夢語り (ヒーローズ)

デヴィッド ボウイ ヒーローズ

A面曲は全曲ロック Heroes image by Amazon このアルバムも「ロウ」同様、アナログ盤でA面とB面に分けて考えるべきアルバムです。 「ロウ」ではファンク色が残っていたのですが、「ヒーローズ」はA面ロック・サイド、B面インストルメンタル・サイドとなっています。 A面は「ヒーローズ」以外はすべてハードロックと言えるでしょう。 このような硬質なアルバムはデヴィッド・ボウイには珍しいものとなっています。 Beauty And The Beast• Joe The Lion• Sons Of The Silent Age• Blackout ロックテイストを感じる佳曲ばかりですが、なかでも「Joe The Lion」「Blackout」は出色です。 「Joe The Lion」はフリップの独特のギターが冴え渡っています。 「Blackout」のねじれたようなロックサウンドは、この曲独自のものでボウイのボーカルとサウンドがまるで戦っているような曲です。 中盤はトーンダウンするパートがありますが、ロック・サイドのA面を締めくくるのにふさわしいロックナンバーです。 B面曲はインストルメンタル・サイドだが 構造自体は「ロウ」と同じようにインストルメンタル・サイドを持ったアルバムですが、「ヒーローズ」のB面は「ロウ」のような陰鬱な曲ばかりではありません。 オープニング曲「V-2 Schneider」だけは中でもハイテンポな曲で、ボウイの外したようなサックスが特徴となっています。 V-2 Schneider• Sense Of Doubt• Moss Garden• Neukoln• The Secret Life Of Arabia そして、最後を締めくくるのはボーカル曲の「The Secret Life Of Arabia」です。 この美しいサウンドは私が最も好きなナンバーです。 アウトテイクにも最高の曲があります。 この「ヒーローズ」のRyko盤には「Abdulmajid」というインストルメンタルが入っています。 この曲がインスト曲としては最高の出来で、なぜ本編に入ってないのか疑ってしまいます。 インスト曲から1曲選ぶとしたらこの曲を選びます。 この曲名から察するに奥さんのことを表現しているのではないでしょうか。 しかし、それもとても難しかったです。 以下の3曲で迷いました。 Joe The Lion• Blackout• The Secret Life Of Arabia 全部いいのですが、強いて「The Secret Life Of Arabia」を選んでおきます。 ということで、私の選曲は• The Secret Life Of Arabia の2曲としておきます。 jp www. bluelady. 「Day-In Day-Out」がプレイされるたびに、このアルバムはデヴィッド・ボウイではない誰かのアルバム…と心の中で言い続けてい... image by 916vince 「ハンキー・ドリー」はデビッド・ボウイのアルバムの中でも玄人受けするもの... アルバム「トゥナイト」が失敗作だという評価には誰しも異論のないところだと思います。 デヴィッド・ボウイは新曲を「Loving... 「スケアリー・モンスターズ」はデビッド・ボウイのキャリアを総括するような傑作アルバムです。 「Ashes To Ashes」で... このアルバムをはじめて聴いた時、デヴィッド・ボウイにのめり込むしかなくなってしまいました。 それほどに圧倒的なアートフォームを...

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デヴィッド・ボウイとクラウトロック⑤/ヒーローズ|marr|note

デヴィッド ボウイ ヒーローズ

デヴィッド・ボウイ「ベルリンの壁コンサート」東側にも5,000人! 1987年6月6日、デヴィッド・ボウイが西ドイツの旧国会議事堂前で野外ライヴを開催した。 そこはベルリンの壁と隣接した場所にあり、ボウイは設置した巨大スピーカーの一部を壁の反対側に向けて演奏した。 その先には約5,000人の東ドイツの人達が集まっていた。 今でこそ歴史的な意義をもって語られることの多いライヴだが、当時17歳だった僕は、正直なところ、ほとんど記憶がない。 おそらく、あまり大きく報じられなかったのではないだろうか。 というのも、ベルリンの壁が崩壊するのは1989年11月9日のことで、このライヴの2年以上も後なのだから。 あの頃、壁がわずか数年でなくなるなんて、誰も想像していなかったと思う。 しかし、あの時に東側の壁に集まった5,000人にとっては違った。 銃を持った警察との押し合いの中で、逮捕者を出しながらも、「壁をなくせ!壁をなくせ!ゴルバチョフ!ペレストロイカ!」と声を上げ続けた彼らの心の叫びは爆発寸前だったのだ。 今となれば、それが痛いほどわかる。 そして、その声は壁の向こう側にいたボウイの耳にも、はっきりと届いていたことだろう。 ボウイとベルリンの深い関係、傑作アルバム「ロウ」と「ヒーローズ」 ボウイとベルリンの関係は深い。 1976年、過度のストレスからドラッグの闇にはまり込んでいたボウイは、西ドイツを中心に発信されるインダストリアルなサウンドに惹かれ、西ベルリンを訪れる。 ヨーロッパ発のこの新しい音楽の波は、アメリカ音楽に比べてシリアスで具体的な社会性をボウイに感じさせた。 そして、西ベルリンでは人目を気にせずに街を歩くことができたという。 もしかすると、ボウイにとっては、それが何よりも重要だったのかもしれない。 ボウイはイギー・ポップとアパートで共同生活を送りながら精神状態を回復させ、ブライアン・イーノの協力を得つつ、全キャリアでまさにピークと呼ぶべきクリエイティヴな音楽を創造していくことになる。 ボウイは1977年の夏が終わる頃、スイスへ居を移しているので、西ベルリンで暮らしたのは約1年ということになる。 その間に『ロウ』と『ヒーローズ』という傑作を完成させたのだから、西ベルリンでの日々がいかに実りあるものだったかは明白だろう。 イーノとの共同作業が続いたことから一括りにされているが、サウンドは前2作と比べて穏やかで開かれたものになっていると思う。 『ロウ』と『ヒーローズ』という2大傑作がレコーディングされたのは、西ベルリンのハンザ・スタジオで、それは壁のすぐそばに建っていた。 スタジオの窓からは、銃を持った警備兵の下で待ち合わせをする恋人たちの姿が見えたという(プロデューサーのトニー・ヴィスコンティと彼の恋人だったと言われている)。 そうした光景が名曲「ヒーローズ」のイメージを作り上げる一助となったことは、想像に難くない。 東西冷戦の象徴、ベルリンの壁が生んだ悲しい歴史 ここでベルリンの壁について少し記しておきたい。 第二次世界大戦で敗戦国となったドイツは、東西冷戦の勢力抗争により国を分断される。 首都であったベルリンは東ドイツの領土内にあったが、米英仏ソの4ヵ国で分割統治することになり、ベルリン市内は東西を自由に行き来できる唯一のエリアとされた。 ところが、1961年8月13日の深夜、東ドイツが西ベルリンを取り囲むように有刺鉄線を張り巡らし、一夜にして東西の行き来を遮断。 西ベルリンは東ドイツの中の孤島と化した。 その後コンクリートの壁が築かれ、1989年11月9日に崩壊するまで、28年間、東西冷戦の象徴としてそびえ立つことになる。 想像してみてほしい。 ある朝目が覚めたら街が有刺鉄線で囲まれていて、その向こう側にいる家族や友人に突然会えなくなることを。 それがベルリンで起きた現実だった。 どれだけの悲しみが胸を覆い、どれだけの涙が流され、壁を超えようとしてどれだけの命が失われたことだろう。 名曲「ヒーローズ」、壁の向こう側からも聞こえてきた歌声 ボウイがレコーディングスタジオの窓から毎日のように眺めていたのは、その壁だった。 馴染みのカフェでは、家族や仲間と引き裂かれた人達の話を聞く機会もあったかもしれない。 そして、この土地で心の傷を癒した自分自身についても、きっと考えることがあっただろう。 だから、1987年6月6日、ボウイはスピーカーの一部を壁の反対側に向けたのだ。 10年前に暮らした街の悲しい歴史は、ボウイにとって他人事ではなかったのだろう。 「今夜は壁の向こう側の友人たちのために、みんなで幸せを祈ろう」。 そう言って歌い出したのは、背後の壁からインスピレーションを得た名曲「ヒーローズ」だった。 すると、壁の向こう側からも合唱が聞こえてきた。 その歌声はサビに向かって高まっていく。 僕らは英雄になれる たった1日だけなら 彼らにとってその1日とは、壁がなくなる日のことだったのかもしれない。 そしてボウイにとっては、もしかするとこの日だったのかもしれない。 生前ボウイはこの時ことを振り返り、こう語っている。 僕はけっして忘れないだろう。 自分がやってきた中でも最高に感動的なステージのひとつだった。 ふと立ち止まって考える。 なぜデヴィッド・ボウイだったのだろうと。 まるで何かが彼を選んだかのように、あの時、ボウイは壁の前に立った。 そして、スピーカーを反対側に向けたのだ。 つくづく不思議な縁だと思う。 しかし、それはベルリンの人達にとっても、ボウイ自身にとっても、素晴らしい体験だったに違いない。 2020.

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