三宅 ゆかり。 【第113回】三宅由佳莉|平成の世にサムライを探して|日立ソリューションズ

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三宅 ゆかり

幼少の頃から培った様々な経験 生まれ育った環境で家業のDNAが浸透 なにがあっても継承させる想いが夢に繋がる 本日登場するのは、自動車部品製造工場から出るアルミ余材を使ってスチームパンク文化におけるアクセサリー開発に取り組んでいるスゴい人。 本業である自動車用部品の売り上げでは外国産に押される苦境が続くなか、異業種への参入に活路を見いだす挑戦を続けている。 彼女はどのようにしてこの厳しい自動車部品業界を生き抜いていくのか? さぁ・・・ 株式会社 三光ダイカスト工業所 代表取締役社長 三宅ゆかり様の登場です。 幼少の頃に培った家業のDNA 物心ついた時には両親が創業し両親とはあまり一緒にいた覚えが無いんです。 忙しかった親の背中を見て育った日々が今に繋がっていると思います。 ですから当然おばあちゃん子で育ちましたので、両親がいつも一緒にいる普通の家庭、他の家庭が羨ましかった。 でも両親には心配かけたくない、良い子でいたいと思っていたので他のお子さんより早くから自立心はついていたと思います。 お転婆で、人見知りしない少し大人びた子だったようです。 最近よく思うのは、産まれる前から自分自身で両親を選び、自ら選んだ道を進んで来たんじゃないかということです。 父との対話で自分のDNAの存在に気が付く 今置かれている状況は全てDNAなのだと思います。 自分でこの人生プログラムを選んで来たとしか思えないんです。 だから人生とは生まれる前からプログラムされていると思っています。 最初はお手伝いのつもりくらいしか思っていなかった、家業の自動車部品製造の仕事です。 まさか私が代表取締役社長を引き受けるとは思ってもいませんでした。 専務取締役の父の弟が2代目社長に就任しましたが、1年で難病になり私しか後任がいなかったのです。 やはり最初から決まっていたとしか言いようがないです。 父が闘病生活に入り、亡くなる迄の一年間で初めて色々な話をして父に対しての印象が変わりました。 それまでは父は厳格で短気で家にあまりおらず、近寄りにくい雰囲気を出すタイプでした。 私自身はずっと父を冷たい人だと思っていました。 しかし改めてゆっくりと向き合い話をしてみると 実は優しくて、話好きで、私の事をとても気に掛けてくれていた父だと知りました。 父の捉え方が劇的に変化したんです。 それまでは、自分自身が立ち上げ、築いてきた美容関係の仕事は自分だけの力で成功したと思っていました。 ところがそれさえも実は両親がいたからこそ得られていた環境や信頼があったからだと気がついたんです。 その瞬間に28年続けてきた美容の仕事を、トップリーダーとしてやっておりましたが、それを即刻辞めてスタッフに引き継ぎ、家業を継承することにしました。 物事の両面性とそのバランス 過去には勿論沢山の事がありますが、過去の事はぐちゃぐちゃ考えないようにしています。 過去の失敗や経験には囚われない訓練を7年位してきました。 だからと言っていつもプラスに傾く訳ではありませんが、マイナスを逃げずによく観ると乗り越えられる要素が必ず見つかります。 やはりバランスだと思います。 プラス思考を知ってるからこそマイナスが解るのだと。 例えば、「マイナスとプラス」「裏と表」「男と女」「生と死」物事は全て相対の関係で成り立っており、片方だけでは存在しない。 考え方を変えればマイナスはプラスに捉える事も出来ます。 マイナスをよく見てみるとそれはプラスに変える事ができると言う見方です。 父の事も私は長い間誤解していましたが、他人から見たら優しい人だったのだと言うことです。 マイナスをプラスに変えた本気の覚悟 最近6人位の現場オペレーターが次から次へと辞めて行きました。 しかも父の側近でもあった役員が退職し、その方が弊社を退職後に人材派遣会社を興したんです。 弊社の社員をヘッドハンティングされた時は苦しく、裏切られたと思いました。 6人ものオペレーターが抜けてしまったら、当然仕事は回りません。 納期チェーンが起きるのが普通ですが不思議な事に乗り越えてしまいました。 完全にマイナスの出来事でしたが逆に残った社員達と力を合わせることでプラスに転換しました。 残った社員たちとももっと本音で話せるようになりました。 危機を乗り越えるという同じ目標の為にコミュニケーションを取る必要性が生まれ、お互いをさらに知る事が出来たんです。 私も彼らの話をよく聞き、受け入れるように努めました。 逆に私が全く知らない業界から来たからこそ受け入れられたと点もあると思いますし、業界の常識を知らないからこそ無理も平気で言えました。 出来ないという答えが帰ってくると、何故それが出来ないのか納得が行くまで話し合いました。 答えは必然と出てきましたし、それを組み立てて進めて貰いました。 その時に私も覚悟をし、腹をくくった気がします。 本気!ってやつですね。 夢や目標を実現するために己を知る 私自身は夢をあまり持たないのですが「自分を知る事が大事」これを大切にしています。 自分のことって意外と知らないんですよね。 人の評価はすぐできるのに! だからこそ解らないことは素直に聞くこと。 そこにプライドなどはいりません。 素直に聞くことが大事です。 相手は自分の無意識の自分を教えてくれるからです。 だから人の意見には耳を傾ける事が必要です。 これは社員にもいつも伝えています。 得意不得意は誰にでもありますから。 そして今を大切に生きる事を心がけています。 過去や未来ではなく今です。 トップが変われば相手は(社員)変わります。 目標を持った時にはその目標は既にある程度達成していると言う考え方をしています。 今そこにあるマイナスをよく見る。 今を大切に生きればおのずと目標は達成します。 レッドオーシャンからブルーオーシャンへ漕ぎ出していく 弊社は新事業を通じて、少し変わった人材育成をしてきました。 今後もこれは承継していかなければなりません。 若者がうまく育つように、楽しく仕事が出来るように、そうすることでクリエィテイブな人材を育てたいと思っています。 経営理念にも掲げているように、世界に認められる会社にしたいです。 今、自動車産業は急速に技術革新しています。 EVの普及も加速化しています。 今までには無かった様々な分野の職種が新規参入しています。 ですから当社の目指す方向性はオープンイノベーションであると言い続けています。 オープンイイノベーションでブルーオーシャンを狙っていきます。 取材を終えて お会いした時に、この方が自動車部品会社の社長?いやいやエステサロンの女性社長?と思うほどに美しい女性社長が目の前にいらっしゃいました。 お父様の会社を継承し様々な困難を乗り越えた人。 彼女だったからこそ乗り越えたられたのだと思いました。 男性従業員の方々から絶大なる信頼があり、また社長の発想やアイデアに社員がワクワクされていてとても明るい職場が印象的でした。 自動車部品というコテコテの現場作業をされている社員さんお一人お一人が笑顔でワクワク仕事をされている秘訣は社長との信頼関係と会社全体で想いが一つになる「夢」があるからだと感じました。 自動車部品製造会社がスチームパンクに挑戦し製造過程で出た廃材でアクセサリーが作れるって素敵ですよね。

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三宅由佳莉さんの階級章

三宅 ゆかり

先回、さんの2等海曹への昇任がそろそろ視野にはいってくるのではないかと書きました。 今回は、階級と階級章に着目してみたいと思います。 の階級は大きく、幹部(将校)の階級と(・兵)の階級に区分されます。 3尉以上が幹部、准尉以下がです。 一般隊員は入隊し、に任官すると2等海士に任命されます。 この写真は、平成21年7月13日、入隊後の基礎教育・訓練を受けていた横須賀教育隊の創隊50周年記念式典で国家独唱を終えたさんです。 左腕に2等海士の階級章との徽章をつけています。 国家独唱の動画を見たい方は下のリンクから飛んでください。 因みに、男子隊員の場合、海士はセーラー服ですが、女子隊員は、海曹と同じジャケットの制服です。 何故なのかは知りませんが、わが国では、女子がセーラー服を着ると紛らわしいことになるからなのかも知れません。 さんは、平成21年9月、横須賀教育隊での教育訓練を終えると同時にへの配属が命じられ、その後1等海士に昇任されました。 この写真は、平成21年11月に、初めて音楽まつりに出演した時のものです。 左上腕部に1等海士の階級章が見えますが、候補生徽章はありません。 おそらく、防衛記念賞と同様、演奏服装の時には装着しないのだと思われます。 9月27日、水曜コンサートでの三宅さんです。 海士長の階級章と候補生徽章を着けています。 初初しいですね。 さんの階級は、現在(1月1日に昇任していなければ)3等海曹(さんとうかいそう)です。 なら3等陸曹(さんとうりくそう)、空自なら3等空曹(さんとうくうそう)と呼びますが、普段の呼称はいずれも「3曹(さんそう)」です。 つまり「三宅3曹」と呼ぶのであって、「三宅3等海曹」とは呼ばないのです。 これは慣習ですので、説明できるような理由はありません。 おそらく、まどろっこしいからでしょう。 でも、統合運用の場面では、軍種を取り違える可能性があるため、「三宅3海曹(さんかいそう)」と「等」だけを省いた形で呼ぶ場合もあります。 音楽まつりの際には、陸海空が入り乱れますので、このような呼称が使われる場面も多いのではないかと思います。 もっとも、三宅さんは有名人ですから、「三宅3曹」と聞いて軍種が分からない人は多分いないでしょう。 では、「三宅海曹」という呼び方もします。 これは実際の階級が何かに関わらず、海曹であることに対する敬意を込めた呼び方です。 同じ海曹でも「」は特別な存在ですから「」と呼ばれます。 それぞれの階級の階級章は上の通りです。 分かり辛いですよね。 の場合、2等海士からまでの階級章は、制服の左袖(上腕部)に装着します。 これに対し、陸・空自の場合は、2士〜士長は海と同様ですが、陸曹と空曹の階級章は、金属性のバッジを制服の襟に装着します。 この違いは結構大きいです。 三宅さんの左上腕部に装着されているのが3等海曹の階級章です。 そして、陸曹の場合には、このように金属製の階級章が襟に装着されます。 上の写真はで、階級章の上の丸いバッジは候補生徽章です。 私が若い頃、左袖の上腕部に階級章をつけた1等海曹を見たの隊員たちが「随分老けた士長だな」と噂していたのを見たことがあります。 上のチャートをみれば分かりますが、陸・空士長の階級章と1等海曹の階級章は確かに似てるといえば似てますよね。 そして、陸上にとっては、「袖に階級章を付けている者は兵隊(曹ではない)」という認識がありますので、当然と言えば当然の展開だったわけです。 もっとも、近頃は陸海空の統合運用が常態となっていますので、他軍種の階級章を見誤るようなことも殆どないと思います。 それにしても、上のチャートでわかりますが、陸・空は色違いで全く同じ階級章ですが、海だけがほとんど違いますよね。 幹部の階級章にしても、陸・空は夏服も冬服も、制服の肩帯に装着しますが、海自の場合、白い夏服では上記の肩章を両肩に装着し、黒い冬服の場合は、上記肩章と同じデザインを制服の袖口に金糸の刺繍であしらった階級章となります。 さて、海曹の階級章に戻りますが、3等海曹の階級章のことを愛着を込めて「ハマグリ」と呼ぶことがあります。 (2等海曹の階級章) RetCapt1501.

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陸自の歌姫”三宅由佳莉”さんと”鶫真衣”さん!その歌声に心救われる…陸自音楽隊

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幼少の頃から培った様々な経験 生まれ育った環境で家業のDNAが浸透 なにがあっても継承させる想いが夢に繋がる 本日登場するのは、自動車部品製造工場から出るアルミ余材を使ってスチームパンク文化におけるアクセサリー開発に取り組んでいるスゴい人。 本業である自動車用部品の売り上げでは外国産に押される苦境が続くなか、異業種への参入に活路を見いだす挑戦を続けている。 彼女はどのようにしてこの厳しい自動車部品業界を生き抜いていくのか? さぁ・・・ 株式会社 三光ダイカスト工業所 代表取締役社長 三宅ゆかり様の登場です。 幼少の頃に培った家業のDNA 物心ついた時には両親が創業し両親とはあまり一緒にいた覚えが無いんです。 忙しかった親の背中を見て育った日々が今に繋がっていると思います。 ですから当然おばあちゃん子で育ちましたので、両親がいつも一緒にいる普通の家庭、他の家庭が羨ましかった。 でも両親には心配かけたくない、良い子でいたいと思っていたので他のお子さんより早くから自立心はついていたと思います。 お転婆で、人見知りしない少し大人びた子だったようです。 最近よく思うのは、産まれる前から自分自身で両親を選び、自ら選んだ道を進んで来たんじゃないかということです。 父との対話で自分のDNAの存在に気が付く 今置かれている状況は全てDNAなのだと思います。 自分でこの人生プログラムを選んで来たとしか思えないんです。 だから人生とは生まれる前からプログラムされていると思っています。 最初はお手伝いのつもりくらいしか思っていなかった、家業の自動車部品製造の仕事です。 まさか私が代表取締役社長を引き受けるとは思ってもいませんでした。 専務取締役の父の弟が2代目社長に就任しましたが、1年で難病になり私しか後任がいなかったのです。 やはり最初から決まっていたとしか言いようがないです。 父が闘病生活に入り、亡くなる迄の一年間で初めて色々な話をして父に対しての印象が変わりました。 それまでは父は厳格で短気で家にあまりおらず、近寄りにくい雰囲気を出すタイプでした。 私自身はずっと父を冷たい人だと思っていました。 しかし改めてゆっくりと向き合い話をしてみると 実は優しくて、話好きで、私の事をとても気に掛けてくれていた父だと知りました。 父の捉え方が劇的に変化したんです。 それまでは、自分自身が立ち上げ、築いてきた美容関係の仕事は自分だけの力で成功したと思っていました。 ところがそれさえも実は両親がいたからこそ得られていた環境や信頼があったからだと気がついたんです。 その瞬間に28年続けてきた美容の仕事を、トップリーダーとしてやっておりましたが、それを即刻辞めてスタッフに引き継ぎ、家業を継承することにしました。 物事の両面性とそのバランス 過去には勿論沢山の事がありますが、過去の事はぐちゃぐちゃ考えないようにしています。 過去の失敗や経験には囚われない訓練を7年位してきました。 だからと言っていつもプラスに傾く訳ではありませんが、マイナスを逃げずによく観ると乗り越えられる要素が必ず見つかります。 やはりバランスだと思います。 プラス思考を知ってるからこそマイナスが解るのだと。 例えば、「マイナスとプラス」「裏と表」「男と女」「生と死」物事は全て相対の関係で成り立っており、片方だけでは存在しない。 考え方を変えればマイナスはプラスに捉える事も出来ます。 マイナスをよく見てみるとそれはプラスに変える事ができると言う見方です。 父の事も私は長い間誤解していましたが、他人から見たら優しい人だったのだと言うことです。 マイナスをプラスに変えた本気の覚悟 最近6人位の現場オペレーターが次から次へと辞めて行きました。 しかも父の側近でもあった役員が退職し、その方が弊社を退職後に人材派遣会社を興したんです。 弊社の社員をヘッドハンティングされた時は苦しく、裏切られたと思いました。 6人ものオペレーターが抜けてしまったら、当然仕事は回りません。 納期チェーンが起きるのが普通ですが不思議な事に乗り越えてしまいました。 完全にマイナスの出来事でしたが逆に残った社員達と力を合わせることでプラスに転換しました。 残った社員たちとももっと本音で話せるようになりました。 危機を乗り越えるという同じ目標の為にコミュニケーションを取る必要性が生まれ、お互いをさらに知る事が出来たんです。 私も彼らの話をよく聞き、受け入れるように努めました。 逆に私が全く知らない業界から来たからこそ受け入れられたと点もあると思いますし、業界の常識を知らないからこそ無理も平気で言えました。 出来ないという答えが帰ってくると、何故それが出来ないのか納得が行くまで話し合いました。 答えは必然と出てきましたし、それを組み立てて進めて貰いました。 その時に私も覚悟をし、腹をくくった気がします。 本気!ってやつですね。 夢や目標を実現するために己を知る 私自身は夢をあまり持たないのですが「自分を知る事が大事」これを大切にしています。 自分のことって意外と知らないんですよね。 人の評価はすぐできるのに! だからこそ解らないことは素直に聞くこと。 そこにプライドなどはいりません。 素直に聞くことが大事です。 相手は自分の無意識の自分を教えてくれるからです。 だから人の意見には耳を傾ける事が必要です。 これは社員にもいつも伝えています。 得意不得意は誰にでもありますから。 そして今を大切に生きる事を心がけています。 過去や未来ではなく今です。 トップが変われば相手は(社員)変わります。 目標を持った時にはその目標は既にある程度達成していると言う考え方をしています。 今そこにあるマイナスをよく見る。 今を大切に生きればおのずと目標は達成します。 レッドオーシャンからブルーオーシャンへ漕ぎ出していく 弊社は新事業を通じて、少し変わった人材育成をしてきました。 今後もこれは承継していかなければなりません。 若者がうまく育つように、楽しく仕事が出来るように、そうすることでクリエィテイブな人材を育てたいと思っています。 経営理念にも掲げているように、世界に認められる会社にしたいです。 今、自動車産業は急速に技術革新しています。 EVの普及も加速化しています。 今までには無かった様々な分野の職種が新規参入しています。 ですから当社の目指す方向性はオープンイノベーションであると言い続けています。 オープンイイノベーションでブルーオーシャンを狙っていきます。 取材を終えて お会いした時に、この方が自動車部品会社の社長?いやいやエステサロンの女性社長?と思うほどに美しい女性社長が目の前にいらっしゃいました。 お父様の会社を継承し様々な困難を乗り越えた人。 彼女だったからこそ乗り越えたられたのだと思いました。 男性従業員の方々から絶大なる信頼があり、また社長の発想やアイデアに社員がワクワクされていてとても明るい職場が印象的でした。 自動車部品というコテコテの現場作業をされている社員さんお一人お一人が笑顔でワクワク仕事をされている秘訣は社長との信頼関係と会社全体で想いが一つになる「夢」があるからだと感じました。 自動車部品製造会社がスチームパンクに挑戦し製造過程で出た廃材でアクセサリーが作れるって素敵ですよね。

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