夏が過ぎ風あざみ 歌詞。 風あざみの意味とは?造語?広辞苑に載ってる?歌の歌詞も解説!

井上陽水『少年時代』

夏が過ぎ風あざみ 歌詞

大人から子どもまで何となくなじみがある風あざみの本当の意味について、まずは原典からあたっていきましょう。 「少年時代」はそもそも映画の挿入歌でしたが、すぐに大ヒットし、現在でも学校の音楽の教科書に採用されたりと、幅広い年代に親しまれています。 メロディが幻想的なのでついつい素通りしてしまいますが、よく考えてみると「夏が過ぎれば風あざみ」とは意味がわからない歌詞で、ヒットしている当時からその不思議さが話題になっていました。 陽水自身も風あざみが造語だと認める 風あざみは井上陽水のヒットソング「少年時代」に出てくる歌詞ですが、作者である陽水氏自身も風あざみがたんなる造語であることを認めています。 最初から造語を使いたかったというわけではなく、風あざみという言葉が辞書に載っているだろうと思い込んで歌詞に取り入れたところ、辞書には載っておらず、結果的に造語になってしまったということのようです。 鬼あざみという言葉はすでに広辞苑に載っているため、風あざみの意味も当然載っているだろうと陽水氏としては考えたようです。 鬼あざみとは植物の一種で、あざみの仲間に分類されています。 鬼の爪のようにするどいトゲを葉にもつことからこの名前がついたと言われています。 ちなみに、あざみは春先の季語とされていますが、鬼あざみは秋口にかけて使われる季語としてふさわしいと考えられています。 風あざみの意味とは? 風あざみが井上陽水氏独自の造語であることはわかりましたが、では、風あざみの意味とは何なのでしょうか。 造語ですからきちんとした意味があるわけではなく、「夏の終わり、風が少しずつ秋の気配を帯びていく雰囲気」を間接的に表した造語であるとファンの間では解釈されています。 風あざみの他にもある歌詞の造語と意味とは.

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風あざみの意味とは?少年時代の歌詞からわかる井上陽水の変人ぶり

夏が過ぎ風あざみ 歌詞

研究開発室 渡来 皆さんお元気ですか。 9月になりましたが、まだまだ暑い日が続いていますね。 高麗人参を飲んで、残暑を乗り切っていきましょう。 また、食欲の秋に備えて体調を万全にしておくために、夏が過ぎても高麗人参を飲み続けてくださいね。 この他にも、まだまだたくさんあると思います。 地域限定のものでは、 「しまった、しまった」といえば、「島倉千代子」に始まり 「こまった、こまった」といえば、「コマドリ姉妹」 「まいった、まいった」といえば、「マイケルジャクソン」 「なんのこっちゃ」といえば、「抹茶に紅茶」 など、 これら吉本新喜劇でお馴染みのフレーズは、 大阪の人なら高確率で、つい声に出してしまうことでしょう。 また同じ言葉でも、地域によって思い浮かぶ言葉に違いがあったりしますね。 例えば、コーヒー。 京都で「コーヒー」といえば、「イノダコーヒー」かもしれませんが、名古屋で「コーヒー」といえば、「コメダ珈琲」となるかもしれません。 このように、少し調べただけでも地域や世代、過ごしてきた環境などによって、違いがあることがわかります。 大変、興味深いですね。 私の場合、「夏が過ぎ…」という言葉を耳にすると、「風あざみ」という言葉が浮かびます。 これが、頭から離れなくなります。 頭の中で、ピアノの伴奏とあの歌声が流れると、自分の少年時代のことを思い出し、しばしば郷愁にふけります。 ところで、『少年時代』の歌詞にある「風あざみ」「夢花火」「宵かがり」といった言葉。 曲の雰囲気とマッチして、とても聞き心地が良いですね。 しかし、普段は使わない言葉ですよね。 実はこれらの言葉、井上氏が作り出した言葉なのだそうです。 この事を知った当初は、何か騙されたような気がしました。 この名曲から教えられた、少年時代のような無邪気な心と豊かな感性を大切にし、日々の業務に励んでいきたいと思う、今日この頃です。 それでは、ごきげんよう。

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風あざみの意味とは?造語?広辞苑に載ってる?歌の歌詞も解説!

夏が過ぎ風あざみ 歌詞

との対比 この曲はと、ふたつのメロディからできています。 そして、そのふたつはそれぞれ違う世界を描いています。 夏が過ぎ 風あざみ 誰のあこがれに さまよう 青空に残された 私の心は夏模様 最初のはこんな感じ。 そして次のは、 夏まつり 宵かがり 胸のたかなりに あわせて 八月は夢花火 私の心は夏模様 こんな感じです。 単語も文章のつくりも音韻もそっくりですね。 最後のにいたっては、上記2つのを組み合わせ直した構成になっています。 は3つありますが、どれも同じ内容を歌っているんだと予想できますね。 、というわけです。 一方で、はそれとはまたぜんぜん違う感じ。 夢が覚め 夜の中 永い冬が 窓を閉じて 呼びかけたままで 夢はつまり 想い出のあとさき ひとつめのを引用してみました。 先ほど引用したとはまったく毛色の違う単語がたくさん登場します。 例えば「冬」。 には「夏」が出てきましたが、は「冬」がでてきます。 こんな風に対照的な単語を探してみると、案外たくさん見つかるので驚きます。 夏 冬 青空 (日中を想起させます) 夜 風 窓を閉じて かがり 影 って感じ。 ここまできれいに符合するなら、それはもう狙ってやっているのだとしか思えません。 とは、対照的な歌詞のないようになるように構成し尽くされているみたいです。 「は」に注目。 さて、私が注目したのは、「は」です。 で、『少年時代』に戻るわけですが、この曲の歌詞にはいくつかの「は」があります。 そしてその「は」は、どれも連の最後にあります。 つまり、連の最後に「は」を持ち出して、その連がなにに関することだったのかを教えてくれる、という構成になっているのです。 たとえば、最初のを再度引用してみましょう。 夏が過ぎ 風あざみ 誰のあこがれに さまよう 青空に残された 私の心は夏模様 最後の行に「私の心は夏模様」とあります。 この文は、「私の心」について記されたもので、私の心が夏模様であることを示している部分です。 こんなことはわざわざ解説しなくても、日本語の文章が読める人なら迷ったりしないと思います。 で、大事なのはそこではなくて、それがこの連の最後にあるということです。 こんなことが書いてあるから、 この連の全体が、実は「私の心」について解説したものなのではないかと思うことができるってわけです。 夏が過ぎて、風あざみで、だれかのあこがれにさまよっていて、青空に残されている私の心が夏模様なのだと歌っている、ってわけです。 ふだん、私たちはたとえば友だちとしゃべっていて、いちいち自分の状況をこうして説明したりはしません。 私の心は夏模様だったよ!とか言わないでしょふつう。 夢は想い出のあとさきだとか絶対言わないわけです。 ふつうはそんなに、自分自身を突き放して解説したりすることはないのです。 でも、 この曲では自分自身の心を「夏模様」だと解説してくれています。 ここから、どんなことがわかるでしょうか? 私は、ここにとても切なさを感じました。 「私の心は夏模様」って解説してくれているのは、主人公が自分のことを突き放しているからです。 どうして突き放しているのかというと、それは、長い時間が経ったから、かな?と私は思いました。 主人公はもう少年時代から遠く離れた大人になって、懐かしい少年時代を懐かしんでいるのかな?と思ったのです。 がそうだとすると、はそれとは対照的な時制になるはず。 が過去なら、は現在になるはずですね。 それをさっきの表に組み込むなら、こんな感じになります。 夏 冬 青空 (日中を想起させます) 夜 風 窓を閉じて かがり 影 過去 現在 つまりこの曲、 で昔に思いを馳せたあとで現実に立ち返り、またで夢の世界へ旅立ったあとに再びで元に戻り、最後にもう一度で過去を振り返って、そのまま曲が終わる、という構成になっているのです。 すごいなそれ。 そして私は最後に、一人称に気づいちゃったのでした。 この曲の一人称は「私」です。 男性が「私」を一人称として使うのは、その人が十分に大人で、オフィシャルな場で自分を示したいときだけだと思います。 主人公はきっと、大人になったのです。 少年時代を思い返す時でも、その大人になった自分自身が歌詞の端からついにじみ出てしまいます。 でもだからこそ、遠く離れてしまった少年時代とのギャップが際立つのでしょう。 そしてだからこそ、少年時代が懐かしく思えるのでしょうね。 というわけで、『少年時代』でした。 一人称については、本当は違う読み方も考えたのです。 たとえば主人公は本当は女性で、少年のように振る舞うことができていた昔を懐かしんでいる、とか。 それでも十分にキレイに筋は通るのですが、女性である必然性も今ひとつ見当たらないので、今回は男性が主人公ってことにしてみました。 主人公と歌い手の性別についてはのときに考えたことがあるので、よければどうぞ。 宿題にしていた『』は次回かその次に持ち越しにしたいと思います。 読めそうな夏の曲がまだあったらそっちに浮気します。 ごめんなさいませ…。

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